親に苦労させられた人は、
親に苦労させられたっていうところも
自分を形成する一部。
だから、苦労した事実と
もちろん そんなことより苦労のが大きすぎると思うんだけどね。だから気づかないんだけどね。
でも、どこかでいつも 最後は親のせいにできるっていう事実も持てる
基本的には その苦労が大きすぎて 親のせいにできてる ことには気づかないことが多いような気がする
子離れ、親離れ
する時には その
親のせいにできる自分とも離れなきゃいけない
言い訳が出来なくなる
だから、離れられなくなったりする
誰もそこに目を向けないけど
お母さんが可愛そうだから
お父さんにはやっぱり 私がついてあげないと
ダメなんだ
って思うと同時に
いろんな自分の叶えたいことを犠牲にすると同時に
自分の選択に責任を持たなくて良くなる権利 も手に入る
だから
そういう”誰かのせいにできる自分”も
自分のアイデンティティ?になってて
あんなにも ちゃんとした親でいてよ!
自立してほしいよ。って思ってたのに
気がついた時には、自分の方が親離れ出来なくなってたりする。
嫌な状況なのに、離れられなかったりする。
離れたら、突然 言い訳できなくなって、
他の人より遅れちゃったって気持ちを持ちながら、でも そこから はいスタートね!って突然吹きっさらしのところに ポン!って放り出されるから。
全然遅れてるって分かってるのに、突然スタートさせられなきゃいけないから
離れられなくなってたりする
自分の人生に責任を持つのは大変
みんな都合のわるいことは受け入れ難くて
誰かのせいにしたくて 当たり前
でも、少しだけ 抜け出したそこは、
気楽で 優しくて あたたかくて、
大丈夫な場所だと思う。
大丈夫だから
がんばろまい