私のお母さん

私のお母さんは、

工場を営む祖父母の元に生まれました。

小学4年生の時から ミシンが友達だったらしいです。(もちろん普通の友達もいます)

クラスでいうと、控えめなタイプで、

家のさまざまな事情から

自分が我慢して周りが波風立たないのなら

それでいい。

という気持ちが強かったみたいです。

今の母をみてても、

本当に純粋で

優しくて

幼い頃から心ある人だったのだと分かります。

50を過ぎた今でも

ここまで純粋なまま大人になれる人っているんだ と思ってしまいます。

母以上に純粋な大人に(気づいていないだけというのも もちろんありますが)会ったことがありません。

服飾の専門学校を卒業して、

家や様々な事情(伏せたいことも多いので 曖昧な表現でごめんなさい)から

デザイナーの夢や、やりたかったもろもろのことを諦めて

子ども服の店長さんになり、

結婚して 私たち姉妹を育てながら

祖父母の工場を手伝ったり。

その後は オーダーメイドのとても素敵なお洋服屋さんでパートをしながら、子育てをしてくれてました。

父は単身赴任が長かったけど、それを感じさせないくらい あたたかく私たちを育ててくれました。(家族のことでは 本当に いろんなことがあったので すごく割愛してますが 今思うと 本当に愛の深い人です。)

パンを焼いてくれたり、アンパンマンのクッキーをよく一緒に焼いてくれたのを覚えてます。

その後 私たちが 不登校になったり

心療内科に行くようなことになったり

いろいろあったけど

傷つきやすくて そしてとっても優しい心で

いつも向き合おうと努めてくれました。

今は、まわりまわって(ほんと母、まわりすぎ)とある学校で介護員さんをやっています。

母は

学校を休む私に対して

海に行こう!今日はデートができるね。

と言ってくれました。

母はいつも

お金や物はなくなるし、むこうに行ったら何も残らない。

でも、心にあるものは誰にも盗られないよね。

だから、あなたたちには 心が豊かになることや、身になることを学んでほしい

というようなことを教えてくれてました。

ちゃらんぽらんだったり、おばかだったり、

お母さんっぽくなくて、もっとしっかりしててほしいのに。って思ったり。

泣かないで お母さんって思ったり。

お母さんが辛いのは、私のせいだから、私なんていないほうがいいって思ったり。

昔はいろんなことを思ってました。

でも、本当に深い愛情を持って、

向き合おう よくしていこう

私が変われば 私が私の人生をしっかり生きていけば みんな大丈夫になるはず

と 誰がどう見てもしんどい時期を、

周りから 嫌なことを言われる時も、

今思うと ずっとずっと頑張ってきてくれました。

ずっと 私たちを 私たちの気持ちを守ってくれてました。

なんかもっとフランクに書きたかったし、

実際はすごく おばかさんというか、

怒ってリモコン投げて、捨て台詞として

“もうっ!!なおしといてよっ!!”

なんて言うような母ですが、

ありがとうの気持ちが止まりません。

母がいつものように

周りにいじられながら

楽しそうにしてるといいなぁと思います。

父にも ありがとうって

あなたがお父さんでよかったって

本当に思えるようになったので

またそれも かきたいなぁと思います。

わざわざ書かないけど 10年前 うちはぐしゃぐしゃでした。家族は 本当に悲しいほどバラバラで もう何もかも終わりにしたい と思ってしまうことばかりでした。たぶん、それぞれが みんな そう感じていました。

だから 家族と 仲良くなれて良かったです。

ということで、諦めなければ

絶対に夜は明けます。

うちの家族は 一人一人が自分の気持ちの最後の最後で 諦めなかったから また一緒に少しでも 少しの時間でも 家族揃って笑い合えるようになりました。

どうして家だけ

どうして私の家は

どうしてわたしだけ

って気持ちは

いつか救われます。

今が辛い人に

私はなんて声をかけたらいいのか

いつも わからなくなるけど

ずっと ずっとつらかった私は

今 まわりの人が大好きでたまらないような

日々をおくれるようになりました。

だから

どうか 諦めないでください。

また 上手くまとめれんかったけど、

いつかもっと 今の気持ちをちゃんと伝えられるように文章も上手に書けるようになるので、懲りずにまたのぞいてもらえたら嬉しいです。